「片付けが苦手なんです」
「どうしても続かなくて…」
これまで、たくさんの方から
そんな相談を受けてきました。
収納のやり方がわからない。
片付けのセンスがない気がする。
でも、現場で一緒に空間を見ていると、
多くの場合
問題はスキル以前のところにあります。
片付けは、
テクニック以上に、
その人の生き方や在り方が片付けの「得意・不得意」は、確かにある
まず、事実としてお伝えします。
片付けが得意な人、
苦手な人は、確かにいます。
空間認知が苦手な方もいれば、
手放す判断そのものがとても苦手な方も。
正直に言うと、
片付けのセンスがない人もいます。
でも、だからと言って
「片付けられない人」だと決めつける必要はない
と思っているんです。

センスがない=片付けられない、ではない
多くの方がつまずいているのは
「自分に合わないやり方」を
ずっとやろうとしてきたこと。
・人の真似をしてもうまくいかない
・正解を探して迷子になる
・できない自分を責め続ける
これでは、片付けがつらくなるのも当然です。
片付けは、
一人で完結させなければならないものではありません。
その人に合う片付け方を、一緒に探していく。
それが、プロとしての私の役割だと思っています。

「片付けを頑張っているのに、スッキリしない」の正体
私のところに来られる方の多くが、
こう言います。
「一応、片付けてはいるんです」
「人を呼べないほどではないんです」
それでも、
なぜかずっとスッキリしない。
この状態は、
片付けの失敗ではありません。
整える場所がちょっとズレている可能性があります。
モノより先に、
・我慢を前提にしていないか
・本音を後回しにしていないか
・「こうあるべき」に縛られていないか
無理して頑張っていることも多いんです。

我慢する生き方は、部屋に「歪み」として現れる
我慢を続けていると、
必ずどこかに無理が出ます。
その無理は、
とても正直に、部屋に表れます。
・使いにくいのに変えられない配置
・本当は好きではないのに残っているモノ
・なぜか一部だけ荒れる場所
これは、
あなたがダメだからではありません。
無理をしながら暮らしてきた結果です。
部屋は、
あなたの生き方を映す
モニター画面のようなもの。
歪みが見えるのは、
気づくタイミングが来た、ということでもあります。

「こうあるべき」の思い込みが、片付けを不自由に
多くの人が、無意識に持っています。
・ちゃんとしなきゃ
・正しくやらなきゃ
・人からどう見られるか気にしてしまう
この
「こうあるべき」
という思い込み。
この枠の中で暮らそうとすると、
空間も、心も、息苦しくなります。
片付けは、
自分を枠に押し込める作業ではありません。
本来は、
自分が自然でいられる形を探す作業です。

片付けは「作業」ではなく、「自己表現」
私は、
片付けを単なる作業だとは考えていません。
片付けは、
どう生きたいか、
何を大切にしたいかを
空間で表現する行為。
だから、
誰かの正解をなぞっても、
流行の収納を取り入れても、
うまくいかないことがあるのです。
必要なのは、
自分に合っているかどうか。
そして、それを
一人で探さなくてもいい、という視点。

スキルを学んでも変わらなかった理由
「収納を学んだのに変わらない」
「片付け本を読んでも続かない」
それは、失敗ではありません。
順番が違っただけ。
生き方や前提がわからないまま、
やり方だけを変えても、
片付けはうまくいかないことがあります。
でも、
・我慢を前提にしない
・自分を後回しにしない
・自分の感覚を尊重する
この土台が少しずつ整うと、
片付けは無理なく続き始めます。

片付けは、生き方を整える入口
片付けは、
スキルだけで語れるものではありません。
得意・不得意があるのも事実。
センスがある人ばかりではないのも現実。
それでも、
その人に合う整え方を探していくことはできる。
私は、そう信じて
この仕事を続けています。
もし今、
ちゃんとしているのにしんどいなら
それは、
あなたが間違っているからではなく、
整え方を見直すタイミングかもしれません。
片付けは、
生き方を整え直すための
入口にすぎません。